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水平私考SUIHEISHIKOU

正志の『水平私考』 2015年7月号

正志の『水平私考』前篇

安全保障関連法制を巡って、通常国会の会期が「9月25日まで(95日間)」延長された。会期延長日数は戦後最長。時間をかけて十分に審議したと言うのも狙いであろうが、憲法学者が口を揃えて集団的自衛権行使容認は「違憲」と指摘。そもそも何故、日本の自衛隊が中東のホルムズ海峡で機雷掃海の任務につかなければならないのか、 機雷は他国からの侵入を防ぐ自己防衛の為の物。機雷を設置した国からすれば、他国からの掃海作業は外的攻撃を受けたと解釈する。ホルムズ海峡が機雷で封鎖された場合、困るのは日本だけではない。むしろ覇権国アメリカが一番困る。日本が「存立の危機事態」だと言って自衛隊に火中の栗(機雷掃海)を拾いに行かすのはおかしな話。そもそも米国の肩代わり、集団的自衛権行使あり気の理由だから、こじつけに無理が生じる。隣国間の自衛には個別的自衛権がある。▼ところで、安保法案成立に向けたゴリ押し審議に、内閣支持率下る。下げ止まりの後押しなのか、安倍総理の取り巻きグループ、自民党有志の会(中堅・若手国会議員)が開いた勉強会で、スポンサーに圧力をかけて、マスコミを懲らしめろと、ハラスメントな報道規制発言。加えて講師に招いた総理側近の百田氏も沖縄の新聞社2紙を潰さなあかんと暴言。党内は火消しにテンヤワンヤ。▼「安全保障」とは表向き、やっぱり戦争のできる国にさせたいという魂胆なのだろう。国民の理解のためには丁寧な説明と努力が肝心。納得できる根拠を示さなければならない。何より、先ずは隣国との関係改善からだ! 武器は無くとも、誠実な対応や対話は、「安全かつ、最強の矛(ほこ)であり、鉄壁な盾(たて)」になる。思い上がって強引に「矛盾」を振り回してはダメだ!戦争は「しない、させない、加わらない」廃案にすべし!

 

正志の『水平私考』後篇

戦後70年、戦争の恐怖は私の脳裏から離れない。第二次世界大戦の勃発から敗戦まで、私の小学生時代はすべて戦禍の中にあった。6年生の夏頃(戦争の末期)グラマン戦闘機が地上スレスレにブンブン飛来、空中機上から掃射発砲。父の「正ちゃん、伏せろ」の声に、私は田んぼにはいつくばった。それは、国鉄機関車めがけての発砲、目前で二人の機関士が被弾死した。戦争体験者はふたたびの戦禍悲惨を起こさぬ世界和栄を悲願してやまない。それがゆえに「自衛隊の海外派兵を国際協力だ」などという主張は詭弁だと私は激昂する。我が国は戦争を反省し「不戦国家」を宣言した平和憲法を制定。けざし警察予備隊を発足、そして保安隊、自衛隊と呼称も性格も変質させてきた。自衛隊を「軍隊ではない」と言い続けながらの海外派兵である。しかも憲法9条を実態に合わせねばという憲法改悪論。「足かせはめた」憲法も、「足かせ解いた」9条にする。それは恐ろしい恐ろしい。▼かつて、第九十帝国国会衆議院本会議(1946年6月28日)は明治の帝国憲法廃止「新憲法制定」の審議の中で、共産党の野坂参三議員は、「侵略された国が自国を護るための戦争は正しいと言っても差し支えない」。すなわち自国防衛のみを新憲法に明記すべきと質問。吉田首相は「近年の戦争は国家防衛権の名において行われた。故に正当防衛権を認めることが愚々戦争を誘発。正当防衛権を認めるということそれ自身が有害である」と答弁。国会は「わが国においては、交戦権は自ら進んで放棄する」と宣言したのである。▼今まさに「戦争回帰への道」を再生させようとする反動勢力の「集団的自衛権」の主張は「安全保障法制」として関連法を一括りにした急ぎ足の論議である。昨日の天声人語で戦争の時代を知るベテラン政治家4人が安保関連法案に反対の声を上げた。亀井静香氏は「黙っておるわけにはいかん」と迫力の声をあげた。▼橋のない川の原作者で慈母の如き住井すえさんからも、「嘘」はダメと天国から一喝されること間違いなし。歴史の教訓にこそ幸福平和の展望と保障があることを信じたい。

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