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水平私考SUIHEISHIKOU

正志の『水平私考』 2018年3月号

仏教でいう「荘厳(しょうごん)」とは、仏の光によって深く照らし出されることをいう。先月、90歳で亡くなった作家 石牟礼 道子さんのライフワークともいえる著書『苦海(くがい)浄土 わが水俣病』の中では、水俣病の原因を作った企業、地方行政、国家行政の欠落を照らし出すとともに、言葉を奪われた人たちの心の奥にあるものも、白日のもとに導き出した▼日本が高度経済成長の波に乗る60数年前、熊本の八代海<不知火(しらぬい)海>周辺で暮らす漁民らの体に変調の兆しが忍び寄る。チッソ工場からメチル水銀化合物入りの廃液が海に出される。汚染された海の魚介類を食べた人たちが、中枢神経系に中毒性疾患を引き起こしていた▼石牟礼さんは、公害病の原点ともいうべき水俣病を、患者からの聞き書きやその後の裁判をめぐる動向などをまとめ、750ページに及ぶ記録文学の大作に仕上げた。患者の悲惨な生活が生々しく描かれていて、何とも辛くて重苦しく衝撃が走る作品だ▼水平社博物館で開催中の「公害認定から50年―水俣病は終わっていない」(3月17日に講演会)では、奇病や伝染病と噂され、患者は住んでいるだけで周囲からの偏見や差別を受け続けた。企画展は知られざる人権問題を浮き彫りにし、今もつづく患者のやり場のない思いを伝える▼この思いは、7年前の福島原発事故による被災者とも重なる。脱原発の動きが広まりつつあるにせよ、「経済ファースト」からくる原発再稼働の動きも消えないでいる。原発がなくならない限り、使用済み核燃料が次々と出される。しかし、核廃棄物を永久に埋め込む最終処分場はといえば、世界で唯一、フィンランドのオンカロの地下420メートルに掘り下げた岩盤にあるだけ▼水俣も福島も、あの日までは豊かな自然の恩恵をいっぱい受けていた。突如として、それぞれの「生活・健康・人権」が侵され、尊い命すら奪われてしまったのだ。争いのない、安らかな浄土の世界に召された石牟礼さん。それでも、公害病や原発事故の影響によって亡くなった人、今なお苦しみから解き放されないでいる人たちに思いを馳せ、「他人(ひと)にやさしく、自分にもやさしい」荘厳の光が、この日本いや広く地球上に照らし出されるよう、祈りを続けられているように私には思えてならない。

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